ChatGPTと読む『ハムレット』⑤:第三幕 後半 ――祈りの王/母の部屋/刺殺

読書×AI対話

Author’s Note / Framing

On Terms, Distance, and Why This Essay Was Written
This essay was not written to define a doctrine, defend a value system, or propose a new ideology.
Rather, it attempts to trace a practice—
a way of relating to fiction, characters, and others—that has gradually stabilized across several decades of Japanese media culture, often without being clearly named.
Throughout the text, I use several terms that may appear familiar, yet are employed here in a deliberately specific and provisional way.
For example, “Kawaii” is not treated simply as “cuteness,”
“Sekai-kei” is not reduced to a genre label,
and “Yasasii-sekai” (Gentle World) is not assumed to be a commonly shared or universally accepted concept.
In particular, Yasasii-sekai is not presented as an established analytical term.
It originated largely as a casual internet expression—often ironic, sometimes affectionate—used to comment on narratives that felt conspicuously forgiving, frictionless, or implausibly kind.
What interests me here is not the meme itself, but the condition it occasionally pointed toward.
That is:
a situation in which innocence is no longer an attribute of a character,
nor a moral achievement,
but something that emerges between people,
as a shared constraint on how fiction is treated, sustained, and interacted with.
When I refer to innocence in this essay, I do so tentatively.
It is not meant to signify purity, naivety, or moral superiority.
Instead, it functions as a placeholder for a pre-narrative stance—
a refusal to immediately impose judgment, destiny, or “seriousness” onto a fictional situation.
Likewise, when I discuss parody, everyday-life narratives, or VTuber culture,
my aim is not to argue that these forms are inherently progressive, ethical, or “better” than others.
They are simply different answers to a recurring question:
How can fiction be enjoyed without forcing participants
to carry the full weight of history, ideology, or personal judgment?
This question has been asked implicitly—sometimes clumsily, sometimes playfully—across multiple generations of creators and audiences.
The essay proceeds historically, but not exhaustively.
It does not claim a single origin, nor a linear evolution.
Instead, it follows a series of shifts in attitude:

  • from parody as distance,
  • to innocence as a felt absence of obligation,
  • to everyday life as a formal structure,
  • to the atmosphere or the place as the primary stabilizing force,
  • and finally, to VTuber culture as a collective practice of maintaining fiction together.

If this essay has a thesis, it is a modest one:
That what is often dismissed as escapism, softness, or avoidance
may also be understood as a serious attempt to design a shared space
where no one is required to be exceptional, punished, or sacrificed for meaning to exist.
Whether this attempt succeeds—or whether it carries its own risks—
is a question I leave deliberately open.

はじめに

1. 本記事も普通にネタバレを含みます。

今回も遠慮なく、第三幕の後半(=物語の“事故”が起きるところ)まで踏み込みます。
「えっ、そこやっちゃうの……?」が連発するゾーンなので、未読の方はご注意ください。

2. 本記事も、個人の感想と雑談がベースです。

このシリーズは、いわゆる“解説記事”というより、

  • 読みながら引っかかったことを
  • ChatGPTにぶつけて
  • 返ってきた観点で、もう一回読み直す

みたいな形の「読書実況ログ」です。

そこそこ解説として役に立ったり、それなりに勉強になったりすることもあるかもしれませんが、一次資料の精査などを目的とした学術記事ではありませんので、その点はあらかじめご了承ください。

3. “AIとの対話のおもしろさ”から始まった実験的な記事です。

ゲーム実況があるなら読書実況もあっていいんじゃない?
そんな思い付きと、
「AIとの対話って、めちゃくちゃ面白くて、しかもピンポイントで勉強になる!」
という気付きが掛け合わさって生まれたのがこのブログです。

だから今回も、「筋を追う」より先に「え、なんでそうなる?」が主役になります。

AIというパートナーは、人間と違って脱線にも延々と付き合ってくれるので、場合によっては気ままな脱線が頻発するかもしれませんが、そこも含めて楽しんでいただければうれしいです。

ではではよろしくお願いします。

前回まで(~第三幕前半)

第三幕は、王とポローニアスが、オフィーリアを使ってハムレットに探りを入れようとする場面から始まります。二人が物陰で盗み聞きをする中、ハムレットは例の「To be, or not to be」の独白を語り、その後オフィーリアと会話を始めます。
しかし途中から態度が一変し、「尼寺へ行け」などの激しい言葉を投げつけて、その場を去ってしまいます。

その夜、宮廷ではハムレットが手を加えた芝居が上演され、クライマックスでクローディアスは動揺して途中で席を立ちます。
ハムレットはこのリアクションを見て、現王の罪を確信します。
――前回は、ここまでを読んでいました。

物語はここから、母親ガートルードに呼び出されて……というところです。
では本文に入っていきましょう。まずは幕全体の見取り図をAIに聞いてから、ストーリーを追っていきます。

第三幕後半のストーリー上のポイント

ChatGPT:

第3幕後半の大きなイベントは二つ。

王の祈りの場面(=最大の矛盾)

ハムレットは復讐を実行するチャンスを得る。
しかし王が祈っている姿を見ると、

「今殺すと天国に行ってしまうからダメだ」

と行動を保留する。
→ 最大の“行動できなさ”の露呈。

②「母との寝室」──誤ってポローニアスを殺害

母ガートルードの部屋で激しく口論。
タペストリーに隠れていたポローニアスを、ハムレットは“王だと思って”刺殺してしまう。

これは物語全体の転換点。
オフィーリアの狂乱、レアティーズとの対立、復讐劇全体の加速につながります。

第3幕全体をまとめると、

  • 監視下の会話
  • 独白(生と死)
  • 芝居による判定
  • 罪の露呈
  • そして殺人(最悪の転回)

が一気に畳みかけられる幕です。

今回の記事で追う大きなイベントは二つ。
でも、掘り下げポイントは明らかにそれ以上ありそうです。

ではではストーリーに沿って、気になるところを拾っていきましょう!

王の祈り

ハムレットはしてやったりの劇中劇後、呼び出されてガートルードの部屋へ向かう道すがら、跪拝台(ひざまずいて祈る台)で祈りをささげている王を見かけて立ち止まります。

この場面で重要なのは、多分、

①王が独白の中で

人類最初の罪、兄殺しの大罪!
祈りたい、心から祈りたいのだが、罪の深さを思えば、それもできぬ。

とはっきり言ってるので、少なくとも観客には王の罪は確定した、ということ。そして、

②ハムレットが、

やつは祈りの最中、造作なくかたづけられる。
待て、そいつは。俺がその悪党を天国に送り込む。ふむ、復讐にはならぬ

といって、復讐を躊躇すること

でしょう。

まあ①の方は、劇中劇を見た王のリアクションでほぼ確定していたので、特に問題じゃないんだけど、②の方は結構拾うところがありそうです。

祈りの効能

キリスト教の教義的なことがよくわからないので、ちょっと聞いてみたいんだけど、お祈りの最中に殺したら天国に行っちゃうっていうのは、これはそういうものなんですか?

ChatGPT:

正統なキリスト教教義としては、かなり怪しい。
でも、当時の感覚としては「そう考えてしまうのは自然」でした。

まず前提として、
救われるかどうか(天国に行くかどうか)は、本来 神だけが決めることです。
「今は祈っているから天国」「今は罪の最中だから地獄」
――そんなふうに人間が計算するのは、教義的には越権行為です。

一方で、シェイクスピアの時代(16世紀末)は、
この教義がすっきり共有されていた時代ではありません。

『ハムレット』の世界では、

  • デンマークはプロテスタント(ルター派)国家
  • でも劇中には「煉獄」や亡霊といった、カトリック的な発想も出てくる
  • さらに「祈り=魂が清められている状態」という、素朴で感情的な信仰感覚も残っている

こうした 混ざり合った宗教感覚 が前提になっています。

だからハムレットは、
「今ここで殺したら、王は祈りの最中だから天国に行ってしまうかもしれない」
と考えてしまう。

これは神学的に正しいというより、
人間が死と罪を前にしたときに、ついそう考えてしまうリアルな思考 なんですね。

あー、まあ、ざっくりというと、ここはハムレットが勝手にそう思ってる、ってことなんだ。お祈りしてるときに死んじゃったら天国に行ける、っていう教えだったら、みんなそうしますもんね。

復讐劇のずらし

ちなみに、当時の観客の感覚的には、「それ、いよいよ復讐だ!」となったタイミングなんですかね?僕の感覚だと、復讐劇という感じで読んでないんで、ふーん、今殺すって選択肢もあるんだ?くらいの感じなんですけど。

ChatGPT:

この場面、実は 当時の観客にとっても「いよいよ復讐だ!」というカタルシスの瞬間ではありません。
むしろ、

「あ、今なら殺せるのに、やらないんだな」
「でも、その理由がどんどんややこしくなってきたぞ

という、緊張がねじれた場面として受け取られていました。

エリザベス朝の観客は、復讐劇の定型をよく知っています。
罪が証明され、主人公も確信を得た以上、物語的にはすでに「実行フェーズ」に入っている。
実際この場面、王は一人で背を向け、警護もいない。
今なら殺せることは、観客にもはっきり見えています。

だからこそここは、「なぜ殺さないのか」を説明しなければならない局面です。
ただし観客は、「やれ!」と単純に思っているわけでもない。
祈りの最中の王を背後から刺す――それは、復讐劇に慣れた観客にとっても、ヒーロー的な行為には見えません

この場面の緊張は、

「いよいよだ!」

ではなく、

「彼は、どこで、どうやって復讐するつもりなんだ?」

という形で持続します。
ハムレットは、いつでも殺せるのに殺さない。
しかし逃げているわけでもない。
この宙吊り状態そのものが、当時としてもかなり異質でした。

重要なのは、ハムレットが「殺せない」のではなく、「殺さない」という点です。
だから初演当時から、「なぜ彼は遅れるのか?」という違和感は観客の側にも確かにありました。

要するにこの場面は、
復讐劇のクライマックスではなく、
復讐というジャンルそのものが揺さぶられる瞬間なんです。

あー、この辺めっちゃエヴァと構造がかぶって見えるなあ。もちろんハムレットの方が原型なんだけど。

ロボットのパイロットなんだから、世界を救うために戦うんじゃないの?っていう前提を揺さぶって、「エヴァに乗る理由」とは?という問いから始まって、最終的には「僕って何なんだ?」みたいな存在論的な問いに向かっていっちゃう。

ChatGPT:

たしかに、その重なり方はかなり本質的だと思います。
これは「シンジもハムレットも優柔不断」という表層的な話ではなくて、物語のエンジン自体が同じ構造をしている、という話ですよね。

どちらもまず、

  • 王子なんだから復讐するはず
  • ロボットのパイロットなんだから戦うはず

という 役割と期待が先に置かれる
でも主人公は、その役割にすぐには乗らず、

「なぜ自分がそれをやらなければならないのか?」

という問いを引き延ばしていく。

重要なのは、
ハムレットもシンジも「できない」わけではないこと。
殺そうと思えば殺せるし、乗ろうと思えば乗れる。
問題になっているのは能力や勇気ではなく、

その行為を引き受ける主体として、自分は何者なのか

という点です。

その結果、物語は途中から「使命を果たす話」から逸脱し、
復讐や戦闘そのものよりも、
自己の位置づけや存在の意味を問う方向へとズレていく。

だから、

ロボットのパイロットなんだから世界を救えばいいじゃん?

という素朴な疑問は、

王子なんだから父の仇を討てばいいじゃん?

と同型と言えます。

なるほど。おそらく文学史的に、ハムレットは、その無邪気な前提に本気で抵抗した最初の主人公で、エヴァはその構造を、特殊日本的な「ロボットアニメ」という形式で極限まで押し広げていった作品、という構図を描ける、と。

「原型と後継」というつながりで、馴染んだ風景に映る一方で、これが初めて世に出た瞬間の衝撃は、逆に味わいにくくなっちゃってるのかもしれないな。

ガートルードの部屋で

さて、かくして(というか、何も起こらず)ガートルードの部屋に来たハムレットは、母親に「さっきの芝居は何なんだ」とたしなめられます。

まあ、あんな芝居を見せられたら、そりゃなんか言いたくもなるか。

で、ここでちょっと特殊な状況なのは、またもやポローニアスが監視(盗み聞き)をしていることです。
前回オフィーリアや、ローゼンクランツ&ギルデンスターンとの会話のシーンを読みましたが、ハムレットという作品は、他者の目/内面の多層構造っていうのをめちゃくちゃ掘り下げて描こうとしてる作品なんですね。

あまりにもたんぱくなポローニアスの死

で、ここで事件が起きます。

ハムレット:

(妃の腕をおさえ)お待ちなさい。そこへおかけになって。動いてはなりませぬ。

(剣を抜き)おお、さては!鼠か?くたばれ。くそっ、くたばってしまえ。(壁掛けの上からぐさりと突きさす)

ポローニアス:

(崩れ倒れる音)ああ、だめだ!

最初、何が起こったのか、いまいちわからなかったんだけど、どうもこれでポローニアス、死んじゃったみたいです。え、あっさりすぎん?

読んでる側が混乱するのが普通のやつだよね?これは、当時の観客的には、「別にこんなもん」って感じだったんでしょうか??

ChatGPT:

◆当時の観客のリアクション

結論から言うと、
ポローニアスの死は、当時の観客にとっても「あっさりしすぎ」で、しかも妙に不穏な場面だった可能性が高い。

拍手喝采の名場面というより、
一瞬、空気がズレる。笑っていいのか分からなくなる。
そんな種類の死です。

エリザベス朝の観客は、

決闘
処刑
復讐の成就

といった、「意味づけされた死」に慣れていました。
ところがポローニアスは、

主人公の仇でもなく
大悪人でもなく
感情移入の対象でもない人物が、

カーテンの裏で、
勘違いのまま、
一言叫んで死ぬ。

これは当時としても、かなり異例です。

◆処理できない不穏な空気感

しかもこの場面、
笑いと不気味さが同時に起きる。

おしゃべりで説教臭い老人が、
自分の得意技だったはずの「盗み聞き」で失敗し、
あっけなく退場する。

構造だけ見れば、因果応報で少し滑稽です。
でも同時に、

王子が
人を
しかも間違えて
殺した

という事実が、ずしっと残る。

だから観客の反応は、
「かわいそう!」でも
「よくやった!」でもなく、

「……え、今の何?」
に近かったはず。

◆ハムレットの輪郭が変わる瞬間

この瞬間、ハムレット像もズレます。

復讐をためらう哲学者でもない。
かといって、正義の復讐者にもなっていない。

考えているのに、間違って人を殺す存在。

この居心地の悪さは、かなり意図的です。

さらに、復讐劇の文法を知っている観客ほど、
ここで嫌な予感を持つ。

無関係な人物の死は、
物語が「きれいに終わらない」合図だから。

しかもポローニアスの最期は、

「ああ、やられた!」

で終わる。
意味も感情も、ほとんど回収されない。

これは雑なのではなく、
“意味のない死”を、あえて舞台に載せた選択です。

爽快感も、感動も、納得もない。
代わりに残るのは、

ブラックユーモア
違和感
嫌な予感
主人公への距離感の変化

だからこの死は、
観客を満足させるためのものではなく、
不安にさせるための死として機能している。

「え、こんなあっさり?」
という感覚は、初演時の観客にかなり近いです。

あ、これは当時の観客にとってもシュールな死に際だったんだ。なんかコメディ担当大臣がめちゃくちゃあっさり死んじゃって、当時の劇としてはこれは定型みたいのものなの?と思ったけど、そうではなくて、あくまでシェイクスピアによる演出なんだね。

「鼠の始末」が意味すること

また、ハムレットの行動もちょっと違和感あるんですよね。
「鼠か?」⇒剣でぐさりの流れがめっちゃ軽く起こってる割に、起きてることは“殺人”というギャップ。

時代的に誤認刺殺ってのは実はよくあることで、そこまで大きく取り上げるほどでもないってこと??と思ったら、この後の展開で国外追放処分になってて、まあまあ普通に大ごとだし、この一連の展開はどういう意味があるの?

まずはリアルな話として、一応「女王様の私室に入り込んだ鼠(=侵入者)」を処理しようとした、という大義名分はあるわけなので、これ当時の感覚だとハムレットは“おとがめなし寄り”なんですか?

ChatGPT:

結論から言うと、完全に無罪、とは言いにくい
ただし「誤認で刺した」こと自体は、減罪・情状酌量されやすいタイプの事件です。

◆法的には:「侵入者」と誤認したなら軽くなる余地はある

当時の慣習法では、自室や私的空間に潜んだ人物を「危険な侵入者」と誤認して殺した場合、正当防衛/防衛的過誤として扱われる余地がありました。

◆文化的には:宮廷は“盗聴・密偵”が現実に横行する世界

しかも宮廷は監視社会なので、「タペストリー裏に潜む」行為は現実にもあり得る。
ハムレットの「鼠め!」は、単なる悪口というより
「侵入者(密偵)を発見したぞ」という合図として観客にも通じます。

◆ただし最大の問題は:場所が「王妃の私室」だったこと

ここが致命的で、宮廷の中枢で血が出た時点で、
宮廷内での殺人は、どれだけ理由があっても王権への挑戦になる。
だから作中でも、即処刑ではないが、排除=国外追放の方向へ話が転びます。

……えーっと。
でも、まず「妃の部屋で親子の会話を盗み聞き」してる時点で、刺されても仕方ないレベルの秩序破壊じゃないですか?

特にこの時代はスパイ合戦ってことだったし、王族の家族間の問題ってトップシークレットですよね?
潜んでたのがポローニアスだったのは結果論で、名目上は「正体不明の侵入者」を刺しただけ。
それってそんなに問題になるんだ?というのが素朴な疑問の内容なんですが。。。

ChatGPT:

あなたの直感はかなり正しいです。
ただ、この場面がややこしいのは、「倫理」ではなく、宮廷が採用している“秩序のコード”が違うからです。

◆戦場(危険空間)のコード

「潜んでいる気配→刺す」は理解できる。
当時の観客も「分からなくはない」と思える。

◆宮廷(象徴秩序)のコード

一方で宮廷では、王妃の部屋は日常空間ではなく、
血統・王権・国家の核が重なった“聖域”として扱われる。
ここでの暴力は、正当防衛かどうか以前に、
「王権の聖域に暴力を持ち込んだ」扱いになりやすい。

さらに、政治的には盗聴者が「王命による職務」だと、
刺した側は「王命の外で剣を振るった危険人物」に分類される。
ここがズレの中心です。

うーんと……。
いや、倫理がどうとかじゃなくて、ハムレットと王妃の目線では「スパイが潜んでいた」のは事実なわけで、「王妃に身の危険をもたらしうる鼠を、確認する余裕なく処分した」だけにも見えるわけですよね。

むしろ“宮廷の秩序を維持しようとした行為”じゃないの?っていう。
これ、時代劇なら普通に「天井裏に忍者」→「鼠か!?」→槍でブスッ、みたいなやつじゃないのかな?割と普通に見るやつというか。。。

ハムレット殿!殿中でござるぞ!?

しいて言うなら……「殿中でござるぞ!?」みたいなことなんですかね?

ChatGPT:

はい、感覚としてはかなり近いです。
ただしこの作品だと、「殿中」がさらに過激に作動している。

結論から先に言うと――

王妃の私室は“殿中”どころか、王権の根っこに触れる聖域として扱われます。
だからここで剣を抜いた瞬間、意図が正しくても「政治的にアウト」になりやすい。

◆ここがキモ:意図よりも「形式」が優先される

あなたの例の通り、危険空間の論理では「刺して当然」が成立する。
でも宮廷の論理では、まず優先されるのは

  • 王妃を退避させる
  • 護衛(王命を持つ武力)を呼ぶ
  • 制圧・殺害は護衛の担当

という儀礼=手順です。
皇太子であっても、「王妃の部屋で剣を抜く権限」は自明じゃない。
(ここが現代人にはいちばん飲み込みにくい)

◆つまりこの場面は“正しさが救いにならない”装置

ハムレットは、
危険空間の感覚では「分かる」ことをしているのに、
宮廷のコードでは「剣を抜いた時点で危険人物」へ分類されてしまう。
ここで悲劇が不可逆になります。

宮廷文化の優先順位

えっ、王妃を助けることよりも優先するものがあるってこと!?
……あ、そうか!

つまり王妃は「生身の人間」として重要というより、
王妃という象徴的ポジションが重要なのであって、
極端にいえば、王妃という“役”が維持されるなら、個体は交換可能……みたいな感覚?

そういえばこの時代って名前とかも引継ぎだし(父も息子もハムレット)、それと同じで、
個人より「象徴の連続」が強い世界観と考えると、腑に落ちなくはない。

で、そう考えると、ハムレットが抱えてる「自分」って感覚が、むしろ異物になる。
彼だけが、役ではなく、個として振り回されてる。

ついでに言うと、ポローニアスのあっさり過ぎる死も、言ってみれば「個」をフラットに吸収していくこの世界のドライさ、冷酷さの表現になってる。

つまり、このズレがこの作品が提出した“新しさ”ってことなのかな?

ChatGPT:

その整理はかなり核心に近いです。

  • 宮廷では、人は「役(象徴)」として置かれる
  • 重要なのは個体の感情より、象徴秩序が汚れないこと
  • だから王妃の私室は、個人の家ではなく王権の中枢

そしてその中で、ハムレットだけが「役」ではなく
交換不能な“私”を抱えてしまう。
ここがこの作品の近代性として読まれます。

なるほど!めちゃくちゃわかりました!

僕の感覚では、仮に身内のものであっても、スパイと断定して冷酷に侵入者を殺すことが、個を捨てたシステムに殉じる行動なんじゃないの?と思ってたけど、当時の宮廷というのは、さらにそれよりも「個」というのが重要ではなかったんだ!

いや、なるほど、これは勉強になったな。でもそういえば、サッカーとかでも、移籍とかでチームのメンバー半分くらい入れ替わっても、重要なのはそのチームのエムブレムだったりしますもんね。

王殺しと世界の矛盾について

……あれ、でも、ここまで象徴世界の話をしておいて思うんだけど、

王妃=王の身体の延長
王妃への攻撃=国家体制への反逆
みたいな話なら、そもそも「前王を殺して王になった現王」って、理屈上どうなっちゃうんですか?

見た目には「聖域を犯した反逆者」なはずなのに、
権力移行さえ済んだら“セーフ”になっちゃうってこと? そんな雑な上書きある??

ChatGPT:

そこがまさに、王権という装置の矛盾です。

◆王を殺して王になる、は理屈上は絶対アウト

でも歴史的には、“王になってしまった時点で正当化が上書きされる”ことがある。
王権は、矛盾を処理するというより、矛盾を運用して存続します。

◆「王の二つの身体」の感覚で説明できる

王には

  • ただの人間としての身体
  • 国家を体現する政治的身体(王権)
    がある。

王殺しで死ぬのは前者でも、後者は次の王に乗り換えて生き延びる。
だから世界は「秩序が続いてしまう」。

◆その結果、裁けなくなる

現王が王である以上、王権の否定は国家の否定に接続してしまう。
倫理的に有罪でも、政治的には正統の王として存続してしまう。
この“ねじれ”の中にハムレットが放り込まれているわけです。

矛盾してるんじゃないの?という素朴な疑問は、そのまま、矛盾してる、ってことでファイナルアンサーなんだ!まあ、人間社会なんて基本的にそういうもんか。

もちろん時代差はあるけど、こういう“矛盾が運用される感じ”は、現代でも普通にありますよね。だから、400年後のエヴァにも同型の構造を見て取ることができる。

いや、これは古典の良い読みができてるんじゃないでしょうか(自賛)。

まとめると

  • 「王を殺せるのに殺さない」で、復讐劇の定型が一回ねじれる。
  • 「殿中」問題で、宮廷=象徴秩序の強度が見えてくる。
  • その上で、「王殺しで王になる」という矛盾さえ“運用されてしまう”。

この3つが同じ幕に詰まってるのが、第三幕後半のえげつなさでした。

次回へ

ということで、2回に分けて第三幕を読んできましたが、この幕はイベントもたくさんあり、特に濃い幕だった気がします。

お付き合いいただきありがとうございました!

このあと、ポローニアスの刺殺をトリガーとして物語が一気に動いていきます。オフィーリアの狂乱、レアティーズとの対立、復讐劇全体の加速、等々…。

次回は続けて、第四幕を読んでいこうと思います!

ではでは、また「ChatGPTと読む『ハムレット』⑥」でお会いしましょう~。

👉「ChatGPTと読む『ハムレット』⑥」 (第4幕読書実況&ネタバレ解説)はこちら
(※公開後にリンクを貼る想定)

コメント

タイトルとURLをコピーしました