ChatGPTと読む『ハムレット』③:第二幕 ―狂気はどこに宿る?多視点が生む誤読のドラマ

読書×AI対話
  1. Author’s Note / Framing
  2. はじめに
  3. あらすじ
    1. 前回まで
    2. 第二幕のあらすじ
      1. ①ポローニアスの策略と誤解(狂気の露呈)
      2. ②王による探りの開始
      3. ③劇団の到着とハムレットの計画
  4. 監視と多視点世界
    1. ポローニアスの過干渉
      1. エリザベス朝の価値観
      2. じゃあなぜポローニアスは探ろうとするのか?
      3. 当時の観客の受け止め方
    2. 王の監視
      1. エリザベス朝イングランドの監視社会
        1. ①宗教戦争の真っ最中(これ重要)
        2. ② 宮廷は“スパイ国家の中心地”
        3. ③ 王室の不安定さ=後継者問題
    3. 監視は心の中に入り込む
      1. ① 「監視=他者の目」
      2. ② 監視は“世界の多層性”を可視化する装置
      3. ③ハムレットが“セカイ系主人公”に見える理由
    4. 監視と“多視点”のドラマ/各々の視線
      1. オフィーリア視点
      2. ポローニアス視点
      3. 王視点/王妃視点
      4. 観客/読者視点
    5. 多視点提示/並立という手法
      1. シェイクスピア以前の視点
        1. ギリシア悲劇
        2. ローマ悲劇
        3. 中世道徳劇
      2. シェイクスピアの革新
      3. シェイクスピアの後に何が起こったか?
  5. 「狂気」はどこに宿るのか?
    1. 「狂気」とは何か?──ラベルとしての狂気
      1. ポローニアスとの口論
        1. ①「女郎屋の亭主=fishmonger」は超悪口
        2. ②皮肉を解せない男
        3. ③「お前は正直者ではない」
        4. ④老人(ポローニアス)ディス
        5. 「狂ってはいるが、筋は通っている」
      2. 改めて「狂気」とは何か?問題
        1. 理由①ポローニアスは“自分の物語”に沿ってしか理解できない
        2. 理由②シェイクスピアの演劇構造
        3. 理由③ポローニアスの台詞は「自己暴露」
    2. 操作可能な狂気?ハムレットの自意識
      1. 友人(ギルロゼ)との会話
        1. なぜ“北北西の風”?
          1. ①航海の比喩(=方角は状況次第で変わる)
          2. ②“北北西の風のときには見るものが歪む”
          3. ③「狂気」の相対化
        2. なぜこんな遠回しな言い方をするのか?
  6. 次回へ

Author’s Note / Framing

On Terms, Distance, and Why This Essay Was Written
This essay was not written to define a doctrine, defend a value system, or propose a new ideology.
Rather, it attempts to trace a practice—
a way of relating to fiction, characters, and others—that has gradually stabilized across several decades of Japanese media culture, often without being clearly named.
Throughout the text, I use several terms that may appear familiar, yet are employed here in a deliberately specific and provisional way.
For example, “Kawaii” is not treated simply as “cuteness,”
“Sekai-kei” is not reduced to a genre label,
and “Yasasii-sekai” (Gentle World) is not assumed to be a commonly shared or universally accepted concept.
In particular, Yasasii-sekai is not presented as an established analytical term.
It originated largely as a casual internet expression—often ironic, sometimes affectionate—used to comment on narratives that felt conspicuously forgiving, frictionless, or implausibly kind.
What interests me here is not the meme itself, but the condition it occasionally pointed toward.
That is:
a situation in which innocence is no longer an attribute of a character,
nor a moral achievement,
but something that emerges between people,
as a shared constraint on how fiction is treated, sustained, and interacted with.
When I refer to innocence in this essay, I do so tentatively.
It is not meant to signify purity, naivety, or moral superiority.
Instead, it functions as a placeholder for a pre-narrative stance—
a refusal to immediately impose judgment, destiny, or “seriousness” onto a fictional situation.
Likewise, when I discuss parody, everyday-life narratives, or VTuber culture,
my aim is not to argue that these forms are inherently progressive, ethical, or “better” than others.
They are simply different answers to a recurring question:
How can fiction be enjoyed without forcing participants
to carry the full weight of history, ideology, or personal judgment?
This question has been asked implicitly—sometimes clumsily, sometimes playfully—across multiple generations of creators and audiences.
The essay proceeds historically, but not exhaustively.
It does not claim a single origin, nor a linear evolution.
Instead, it follows a series of shifts in attitude:

  • from parody as distance,
  • to innocence as a felt absence of obligation,
  • to everyday life as a formal structure,
  • to the atmosphere or the place as the primary stabilizing force,
  • and finally, to VTuber culture as a collective practice of maintaining fiction together.

If this essay has a thesis, it is a modest one:
That what is often dismissed as escapism, softness, or avoidance
may also be understood as a serious attempt to design a shared space
where no one is required to be exceptional, punished, or sacrificed for meaning to exist.
Whether this attempt succeeds—or whether it carries its own risks—
is a question I leave deliberately open.

はじめに

1. 本記事も普通にネタバレを含みます。

前回に引き続き、扱うのはシェイクスピアの『ハムレット』。
すでに第1幕の時点で、

  • 父王の亡霊
  • 母の再婚
  • 叔父の謀殺疑惑
  • こじらせ王子の“中二的こじれ”

など、情報量の濃さにお腹いっぱいな状態でした。

第2幕からも、当然のようにネタバレ全開で行きます。ご了承ください。


2. 本記事も、個人の感想と雑談がベースです。

このシリーズは、

「第一印象で思ったことをAIにぶつけ、返ってきた知識からさらに考えを深めていく」

という、“読書実況寄り”のスタンスで書いています。

厳密な一次資料の精査というより、

「作品をきっかけに、現代の感覚からあれこれ考えてみる」

方向の記事です。その点あらかじめご了解ください。


3. “AIとの対話のおもしろさ”から始まった実験的な記事です。

ゲーム実況があるなら読書実況もあっていいんじゃない?

そんな素朴な疑問と、

「AIとの対話って、めちゃくちゃ面白くて、しかもピンポイントで勉強になる!」

という気付きが掛け合わさって生まれたのがこのブログです。


話が思わぬ方向に転がることもあるかもしれませんが、
そこも含めて楽しんでいただければうれしいです。

あらすじ

前回まで

前回の記事では、『ハムレット』第1幕のクライマックス――

亡霊がハムレットにだけ真実を語り、復讐を命じる

という瞬間までを追いました。

しかしハムレットは、その衝撃的な事実を誰にも共有しません。
親友ホレイショすら全面的には信用せず、まるで「世界全体と一対一で向き合う」かのように、真実をただ一人で抱え込んでしまう。

その一方で彼は、

“狂気を装うかもしれない”

と宣言します。

本当に狂っているのか、戦略なのか、あるいは周囲の人間の側にこそ狂気があるのか──その境界はあいまいなまま。

つまり、第1幕の終わりでハムレットは、

  • 真実を知る者
  • しかし誰にも語らない者
  • そして“狂気のふり”をまとう者

として、腐った世界に一人で対峙する決意を固める…ところで第2幕に続く、という感じでした。

第二幕のあらすじ

では、本文を読み進めていくにあたって、第二幕のあらすじを簡単に教えてください!

ChatGPT:

了解です!
では 第2幕 のストーリー上のポイントをかいつまんでお届けします。

①ポローニアスの策略と誤解(狂気の露呈)

オフィーリアは、ハムレットが乱れた姿で現れ、悲痛な様子で自分に迫ってきたことを父ポローニアスに報告します。

ポローニアスはそれを聞いて、ハムレットの狂気は「恋煩い」が原因だと勝手に解釈し、王に報告することを決めます。

②王による探りの開始

王クローディアスは、ハムレットの憂鬱や奇妙な行動の真の原因を探るため、
ハムレットの旧友ローゼンクランツとギルデンスターン(以下、まとめてギルロゼ)を呼び寄せ、ハムレットの監視と情報収集を命じます。

ギルロゼはハムレットと親しく会話しようとしますが、
「狂気」を装うハムレットの言葉に翻弄され、はっきりした成果を上げられません。

③劇団の到着とハムレットの計画

一座の旅役者たち(劇団)がエルシノア城に到着します。
ハムレットは、この劇団を利用することを思いつきます。

彼は役者たちに、父を殺害したと思われる状況に酷似したシーンを含む
「ゴンザーゴ殺し」という劇を上演するよう依頼します。

目的:
劇を見ているあいだのクローディアスの表情や反応を観察し、
亡霊の告白が真実かどうか、決定的な証拠を得ようとするためです。


第2幕はざっくり言うと、

「探りの開始」と「芝居による罠の準備」

で構成されています。

なるほど。第1幕で宣言された「狂気の装い」が、
第2幕ではいよいよ具体的な行動と人間関係の中に姿を現してくるわけですね。

また、演劇による罪の真偽の判定なども、かなり変化球な感じがしますね。今回の幕も、いろいろ拾うところがありそうです!では本文を追いかけていきましょう!

監視と多視点世界

ポローニアスの過干渉

さて、第二幕冒頭は、他国へと旅立つ息子・レアティーズの生活動向に探りを入れるべく、おっちょこちょい大臣・ポローニアスが従者にお使いを命じているシーンから始まります。

オフィーリアに続いて今度はレアティーズのしもの話に探りを入れようとしているのですが、これは、ゲイであることを警戒してる、とかなんですか?

それとも、単に、息子の性事情を把握しておきたいだけ?

いずれにせよ、なんか過剰な感じがしますけど、これは当時としては別に普通のことだったんですか?

ChatGPT:

結論から言うと、あのシーンは「ゲイを警戒している」という方向性ではまったくありません

むしろ

“男なら女遊びくらいして当然だろ”

という、当時のゆるい価値観にポローニアスが乗っかっているだけ。

つまり、
「女郎部屋に入った」=“むしろ健全な証拠”
くらいの感覚です。

エリザベス朝の価値観

当時の価値観では、

  • 娼館通い
  • 飲酒
  • 汚い酒場
  • 若い男の“ちょっとした逸脱”

これはかなり一般的でした。


一方で、親が「息子が女の元に行っているか」を探るのは、
一般的ではない

むしろ、

息子の“貞操管理”は、父親の仕事ではない
(娘の貞操は、社会的に重かった)

とされていました。

じゃあなぜポローニアスは探ろうとするのか?

ここで浮かび上がってくるのが、

“過干渉で権力欲が強い親”

としてのポローニアス像です。

ポローニアスのキャラは、おおざっぱに言うと、

  • すぐしゃしゃり出る
  • 自分を重要人物だと思い込んでいる
  • 子どもの私生活を過剰に管理したがる
  • 世俗的で浅はかな常識を振り回す
  • 「道徳っぽいこと」を言うのが好き(中身はわりと薄い)

といった要素の集合体。

だからあの“息子の行状を探らせる”シーンは、

ポローニアスを“滑稽な親”として際立たせるためのコミカルな演出

と見るのが自然です。

当時の観客の受け止め方

エリザベス朝の観客はポローニアスを見て、

  • 「出たよ、またこのオッサンの説教」
  • 「言葉だけは立派だけど浅いよね」
  • 「息子の“遊び”までスパイさせるかよw」

といった、軽い嘲笑のニュアンスで受け取ったはずです。

オフィーリアへの“貞操チェック”は、父として「過剰だけどまだ理解できる」。
しかし、息子への生活スパイは「さすがにやりすぎで笑える」。

つまりこの場面は、

深刻な倫理問題というより、“キャラ表現のためのコミカル描写”

ということですね。

なるほど、そういうことなんだ。笑。

「なんでこの人、大真面目に息子の風俗通いを部下に探らせてるんだろう?」
と、妙な裏テーマを勘ぐってしまいましたが、
要するに“過干渉でうざい父親ギャグ”だった、と。

王の監視

続いて、王と妃がハムレットの友人ギルロゼに、ハムレットの動向を探るよう要請するシーンに移ります。

ポローニアスの場面と対になって、「情報戦」「監視」というモチーフが、より大きなスケールで立ち上がってくる構成です。

ここで気になるのが、

こういった「監視」「探り合い」は、当時としては普通のことだったんですかね?

現代よりはるかに戦争が身近な時代だと考えると、
スパイ合戦がごく当たり前な状況への風刺にも見えるし、
同時に、現代的な「SNSでのエゴサ」「誹謗中傷」「他者の視線の過剰介入」の象徴表現にも見えてくるのですが。

ChatGPT:

めちゃくちゃ核心的です。

「監視」というモチーフは、

  • 当時の現実の政治状況
  • シェイクスピアの“内面劇”としての革新

その両方に深く結びついています。

つまりこれは、

“二重のリアリティ”を持ったモチーフ

なんです。

エリザベス朝イングランドの監視社会

当時の政治状況は、超・超・監視社会と言えます。

当時のロンドンは冗談抜きで「情報戦」で回っている都市でした。

①宗教戦争の真っ最中(これ重要)
  • カトリック vs プロテスタント
  • クーデターの噂が常に飛び交う
  • “誰がどちら側か”は命に関わる問題

だから、

どこに誰の密告者がいてもおかしくない。

宮廷はもちろん、町にも巡回の情報屋がいました。

② 宮廷は“スパイ国家の中心地”

エリザベス1世の宮廷はヨーロッパ随一の情報機関だった。

エリザベスの最大の側近であるフランシス・ウォルシンガムは、
“近代スパイ網の創始者”と言われる人物。

  • 手紙検閲
  • 暗号解読
  • 二重スパイ
  • 情報攪乱

これらすべてを制度的に導入したのがこの時代。

つまり、シェイクスピアが“宮廷=監視の場”と描くのは完全にリアルな感覚です。

③ 王室の不安定さ=後継者問題

エリザベス1世は独身で、後継者がいませんでした。

そのため、

  • 誰が次期王になるのか
  • その派閥は誰か
  • どの家がどの勢力に属しているか

といった情報が、文字通り「命のやりとり」と直結していた。

だから…

  • ポローニアスが息子の行状を密偵に探らせる
  • ギルロゼがハムレットを監視する
  • 王がハムレットを“危険因子”として扱う

──こうした描写は、「当時の宮廷の当たり前」をそのまま劇に持ち込んだ形とも言えます。

“監視”はまず、外的リアリズムとして成立している。

なるほど、やはり時代的にも、「監視」「情報戦」は、
現実に目の前にあった切実なテーマなんですね。

それはそれとして、“近代スパイ網の創始者”って響き、
中二っぽくてちょっとかっこいいですね。僕は好きです。笑

監視は心の中に入り込む

① 「監視=他者の目」

ChatGPT:

ハムレットは常にこう感じているように見えます。

  • 「誰が味方で誰が敵かわからない」
  • 「自分の行動はすべて見られている」
  • 「何か言えば利用されるかもしれない」

これは完全に、

“自己意識の肥大化”の心理

です。

シェイクスピアは、

「宮廷の監視社会」という外部状況

を使って、

内面の分裂(近代的自我の誕生)

を描いている、と読むことができます。

② 監視は“世界の多層性”を可視化する装置

監視する/されるという状況は、

  • “真実”は一つではない
  • 人はそれぞれ違う動機と認識を持っている
  • 表と裏が同時に存在する
  • 同じ行動でも、視点によって意味が変わる

という認識を、否応なく立ち上げます。

つまり、

監視社会のリアル → 多元的視点の物語装置へ

と昇華されているわけです。

③ハムレットが“セカイ系主人公”に見える理由

さらに、

  • “世界(社会)”が監視と裏切りに満ちている
  • その中で“僕だけ真実を知っている”
  • 誰も信用できない/自分だけ孤立
  • 透明でない他者が世界の構造を複雑化
  • 自意識が肥大する
  • そして“内面が世界の色”を決める

この構造は、

現実の宮廷の監視社会 × シェイクスピアの内面劇スキル

の掛け算で初めて成立したもの。

シェイクスピアは“外的リアル”を使って“内的リアル”を描くという、
めちゃくちゃ現代的な手法を使っていたんです。

テーマが一つ増えましたね。

  • 外側には、現実の監視と情報戦がある。
  • その「目」を内面に取り込んでしまうハムレットがいる。

目線の数だけ世界が多層に折り重なって構築されていく。
洞察に長けて思索的にも深いハムレットは、
その視線の多層性を敏感に感じとり、内側に“抱え込んでしまう”

ハムレット独特の孤独感や不安定さの背景には、
こういった「複数の世界が内面に乱立する」状況が色濃く反映されている、と読めそうです。

監視と“多視点”のドラマ/各々の視線

では、それぞれの視線/世界は、どのように構築されていくのか。エピソードを追いかけつつ、確認していきたいと思います。

オフィーリア視点

ハムレットの恋人オフィーリアは、いち早くハムレットの異変に気付き、

ハムレットが乱れた服装で私の部屋に突然現れ、
無言で私の顔をじっと見つめ、ため息をつきながら去っていった。

と、父・ポローニアスに報告します。

…いや、普通に怖いですが。

ともあれ、オフィーリア視点では、ハムレットは

「恐怖」/「理解不能な不穏さ」

として立ち上がってきます。
僕の感覚的には、もう少し淡泊に言えば「どした…?」くらいですが、それでも“何かがおかしい”ことは間違いない。

ポローニアス視点

一方、その報告を受けたポローニアスは、「そら来た!」とばかりに、ハムレットを「恋煩い」と断定し、王に報告します。

王子ハムレット様は気ちがい、はい、あえて気ちがいと申しあげまする。

そのわけは、かっかと燃えさかる恋の火

ハムレット様は、お悲しみのあまりすっかりご憔悴あそばされ、ついにはご発狂、お聴きのとおり、たわごとばかり。

…と、勢いよくまくしたてる。

娘オフィーリアと、王子であるハムレットの“身分違いの恋”にくぎを刺していたこともあり、
ポローニアスの視点では、

「恋やぶれたことによる乱心」

というストーリーで、すべてが説明できることになっています。

王視点/王妃視点

一方、その報告を受けた二人はというと、王妃は、

「ありそうなこと。」

とあっさり同意します。

しかし、王クローディアスは少し違う。

一応は忠義者であるポローニアスの手前、明確な否定はしませんが、
ハムレットの「狂気」を

  • 恋煩い
  • 心の病
  • 若気の至り

のような個人的な問題としてではなく、

国家の安定を揺るがす可能性のある“危険因子”

として扱っている。
ここから、王としての政治的リアリズムが垣間見えます。

観客/読者視点

そして、観客/読者だけが知っているのは、第1幕でのハムレットの宣言です。

“狂気のふりをするかもしれない”

ただ、その意図については、本文を読んでいる限りではいまいちはっきりしません
(考えられうる解釈については、前回を参照、という感じです)。

メタ視点的に言えば、おそらくこれはあえて明確にしない描き方をする、
いわゆる「藪の中」方式なのだろうなあ、と感じるにとどまる、といったところでしょうか。

多視点提示/並立という手法

ちなみに、こういった多視点の並記というのは、当時としてはやはり新しかったんですよね?

ChatGPT:

“多視点の意図的な提示と並立”は、

シェイクスピアが世界で初めて“ここまで複雑にやった”

と言っていいレベルの革新です。

そしてその後の、

“近代文学の発明”を一気に誘発した装置

でもあります。

ここでは、「それ以前」「シェイクスピア」「その後」という流れで整理します。

シェイクスピア以前の視点

古代ギリシア悲劇、ローマ悲劇、中世道徳劇──
これらはほぼすべて

“単一の道徳/単一の世界観”

を前提として描かれていました。

ギリシア悲劇

→ 神話の枠組みが絶対で、
 人物の感情はその枠内で動く。
 多視点はあるが、世界観の中心はズレない。

ローマ悲劇

→ アクション重視・権力闘争重視。
 人物の内面ではなく“事件”に重き。

中世道徳劇

→ 善/悪の寓話。
 視点の揺らぎはほぼゼロ。
 狂気も単純化された寓意。

人物の誤解・認識のズレが“物語の本体になる”という発想そのものが存在しなかった。

シェイクスピアの革新

ここでシェイクスピアがやったことは、非常にシンプルかつ革命的です。

“複数の真実が同時に存在しうる”世界を作った

ハムレットでは、とくにそれが分かりやすく表れています。

  • 演技としての狂気
  • 恋煩いだと信じるポローニアス
  • 恐怖を感じるオフィーリア
  • 政治的不安として受け取る王
  • そして、観客だけが知っている“真実”

これらが、

すべて“同時に正しい”

世界として提示される。

この「真実の分裂と並立」は、まさに、
シェイクスピアが初めて演劇に本格的に持ち込んだものです。

シェイクスピアの後に何が起こったか?

そのすぐ後に登場するのが、『ドン・キホーテ』(1605〜1615)。

“シェイクスピアの認識のズレ構造”を、小説側が受け継いだ作品

と見ることもできます。

  • 主人公が“物語を物語として読んだ結果、狂う”
  • 周囲は“狂人”として扱う
  • 読者は“その構造”を理解して笑う

つまり、

多層的視点 × メタ性 × 誤解の並立

という構造を、物語のど真ん中に据えた最初期の巨大作品が『ドン・キホーテ』だと言えるでしょう。

このあたりをまとめると、

  • シェイクスピア(演劇)が視点の多層化を発明
  • → セルバンテス(小説)がそれを物語構造に転化

という流れになります。

そこから、

  • 真実は一つではない
  • 世界は複数の視点で見える
  • 物語は“認識の齟齬”によって動く
  • 人間の内面は他者に決して透明ではない

という、“近代文学的な前提”がじわじわと形成されていきます。

宗教的な教義や固定化されたヒエラルキーによって、
「世界はこうである」というリアリティがある程度保証されていた中世世界から、

世界が多元化し始める近代への移行期に、
その揺らぎをいち早く“演劇”として作品化したのがシェイクスピア

ということなんでしょうね。

前々回ガンダム級の転換点を5回くらい起こした人物」という評価がありましたが、これも多分そのうちの一つなんでしょう。

いや、これはさらに規模が大きな革命なのかな?

「狂気」はどこに宿るのか?

それではここから、いよいよ本記事のもう一つの大テーマ、「狂気」に入り込んでいきます。

「狂気」とは何か?──ラベルとしての狂気

ポローニアスとの口論

そうこうしている中、探りを入れに来たポローニアスと、勘ぐられていることを悟っているハムレットの間で言葉の応酬が繰り広げられます。

とはいえ、一国の正当な王子とその家臣という関係なので、
実質的にはハムレットが一方的に悪態をついているだけの構図。

正直、ここの会話、初読では全然意味がわからない。
しかもこのやり取り、結構長い。

最初、声をかけてきたポローニアスに対して、

女郎屋の店主(fishmonger)だろ?

と返すのは、たぶん何らかの皮肉なのだろうな、とかろうじて理解できるんだけど、そのあとのやり取りの意味が分からない。

会話の終わりに、

「狂気とはいえ、筋が通っておるわい」

とポローニアスが言っているところから見て、割と理詰めで悪態をついているということなのかな?これら会話全体として、いったい何を言っているんでしょう?

ChatGPT:

いいところに来ました。
ハムレット vs ポローニアスの “狂気のふりをした言語バトル” は、作品の中でもとくにややこしく、しかしめちゃくちゃ面白いポイントです。

結論から言うと──

ハムレットはポローニアスを「老人」「色欲」「言語の浅さ」「偽善」など、

複数の方向から同時に刺す“多層の皮肉”をぶつけているシーンです。

ただしこの場面、
現代語訳読みだと理解が難しい“長い言語遊戯(wordplay)”になっているので、
要点を整理して説明します。

①「女郎屋の亭主=fishmonger」は超悪口

ChatGPT:

原文

Polonius: “Do you know me, my lord?”
Hamlet: “Excellent well; you are a fishmonger.”

意味(直訳)
ポローニアス「わたしをご存知ですか、殿下。」
ハムレット「よく知っているよ。お前は魚売りだ。」

これ、現代英語だと奇妙に見えますが、
当時のスラングで fishmonger=ポン引き/女郎屋の店主

つまりハムレットは
ポローニアス=自分の娘(オフィーリア)を権力者に売る男
と断言している。

なんとなくわかるのですが、これ、具体的には、どういうことなんですかね?

まさか、文字通りそういう意味ではないですよね?

あるいは、王がハムレットの様子を気にしている⇒オフィーリアをだしにハムレットの様子を知った風に説明することで、自身の有能さをアピールしていることについて言及している?

または、王が(将来的に)紹介してくるどこぞの貴族の男に嫁がせるために、ハムレットによって疵物にされたくない、ということを遠回しに女衒に例えてるんですか?

ChatGPT:

あなたが挙げた3つの可能性のうち、もっとも正確なのは(B)です。

(A)娘を王に“娼婦的に”差し出す

 → これは文字通りの意味ではありません。
 ※ただし fishmonger が比喩としてこれを匂わせる。

(B)王の政治判断に利用するための“情報収集”

 → これが核心で100%正しい。

(C)娘の縁談を守るためにハムレットを遠ざける

 → これも親として実際にやっている
(ポローニアスは「ハムレットは王子だから、身分違い」と判断)

つまり、実際の構造はこうです:

ポローニアスは“王の機嫌取り”のために娘を利用している。

  • ハムレットが狂っていると王は疑う
  • 王は「原因を突き止めろ」と命じる
  • ポローニアスは自分の“情報分析”を王に売り込む
  • そのために娘オフィーリアを使う
    (ハムレットとの関係性・恋文・行動を監視材料にする)

これは現代でいうと、

会社のために自分の娘のSNSを勝手に覗いて
役員に「情報通アピール」するタイプの父

みたいなもの。

めちゃくちゃ嫌な親父だ!笑

要するにそういう遠回しな皮肉で、ハムレットはポローニアスを一言でぶった切ってる、と。

②皮肉を解せない男

ChatGPT:

原文それに対するポローニアスの返しが、

“I am not a fishmonger.”

「私は魚売りではありません。」

という、ものすごく字義通りなリアクション。

ここに、「皮肉を理解できない男」

としてのポローニアス像が、ギャグとして描かれています。

知的でソリッドな皮肉を繰り出すハムレットと、それに気づかない鈍感なポローニアス、という対比になってるってことですね。これはまあわかるかな。

では、そのあとの「正直者~」云々の下りは、これいったいどういう話なんでしょう?

③「お前は正直者ではない」

ChatGPT:

原文

Hamlet: Then I would you were so honest a man.

Polonius: Honest, my lord!

Hamlet: Ay, sir; to be honest, as this world goes, is to be one man picked out of ten thousand.

意味(直訳)

ハムレット「じゃあ本当に(女郎屋の店主のように)正直者であってほしいもんだな。」
ポローニアス「正直ですよ!」
ハムレット「この世のありさまでは、正直者なんて一万人に一人だ。」

皮肉ポイント

“娘を売り物にする不誠実な男” という再攻撃

・女郎屋の店主という不正直な者の代名詞を重ねることで、ポローニアスの欺瞞的で、本心を見せない態度を刺している。

・「正直者なんて一万人に一人」 → 宮廷の腐敗(ポローニアスはその中の一人)

これもちょっとセリフのテンポが速い。笑

なるほど、正直者っていうのが、 honestの訳なんだ。

最初見た時、嘘吐き云々とかってエピソード、あったっけ?と思ったけど、honest=誠実な男じゃない、って言われると、要するに、ざっくりとポローニアスの人格性についてディスってるんだ。

ってことは、これは皮肉というか、思ったよりも直球のディスだったんですね。

④老人(ポローニアス)ディス

ChatGPT:

ここから“理解不能に見える老人論”が始まる。

原文

Slanders, sir: for the satirical rogue says here that old men have grey beards, that their faces are wrinkled, their eyes purging thick amber and plum-tree gum and that they have a plentiful lack of wit, together with most weak hams: all which, sir, though I most powerfully and potently believe, yet I hold it not honesty to have it thus set down, for yourself, sir, should be old as I am, if like a crab you could go backward.

ハムレットが言っている要点:

  1. 老人の顔は皺だらけ
  2. 目は曇り、歩き方もよろよろ
  3. 白髪で、皮膚もたるみきっている
  4. でも色欲だけは残っている(これは当時の鉄板悪口)
  5. そこが偽善的だ

意味(平たく)

「老人は若く見せようとしたり、欲望まみれだったりして、
 見た目と中身が一致していない。お前もそうだ。」

皮肉ポイント

  • ポローニアスは年寄り
  • “老い・愚鈍・色欲・偽善”をすべてぶつけている
  • しかもハムレットは“狂気”という保護膜の中で言っている
  • 一方、ポローニアスは半分しか意味が分からず「?」になる

いや、セリフ長!

しかもこれ、その時ハムレットが読んでいた「本に書いてある」、という体で言ってるんですよね。

え~、自分が言ってるんちゃうやん、今読んでる本にそう書いてあるってだけや~ん。気にしすぎちゃう~?

っていう逃げ道を用意してる。これはうざい!笑

とまあ、ハムレットがうざいかどうかは置いといて、これも最初意味わかんなかった。

こいつは老人のことを悪く言う本を読んでんの?本当に?当時はそういう本が教養とされてた、とかなのかな?とか普通に思ったし。

このあたりを見てると、なんとなく陰キャの王子様感があるな。。。

で、これを受けてポローニアスは、

「狂ってはいるが、筋は通っている」

ChatGPT:

原文

Polonius: “Though this be madness, yet there is method in’t. Will you walk out of the air, my lord?

Hamlet: Into my grave.

意味(直訳)

ポローニアス「狂ってはいるが、筋は通っておるわい。外気にさわりますよ、 中へ入りませんか。」

ハムレット「では、おれの墓の中へ。」

皮肉ポイント

  • ポローニアスも皮肉の一部は理解している
  • でも核心まで届かない
  • 「狂気を装っているなら、なおさら怖い」
  • ポローニアスの“ズレた知性”がここでも発揮される

ここでは、「狂気とは何か?」問題がもろに提出されてるところだと思うんだけど、いったんまずは「墓のなか」??問題を処理しようと思います。

いや、こんなの多分本題からはずれるから、別に拾わなくてもいいんだろうけど、これもやっぱり気になったので(こういうの読書の醍醐味でもあるし)。

言葉の応酬がひと段落ついたところでポローニアスが屋内に入ることを促して、

「外気にさわりますよ、 中へ入りませんか。」

と言うのは分かるんだけど、それに対してのハムレットの返しが、

「では、おれの墓の中へ。」

って、意味わからん過ぎる。

最初ポローニアスに「墓に入れ(死ね)」と言っているのかな、と思ったんだけど、「my」ってことは、ハムレットの墓に入るの?誰が?ってなって。

これはどういう意味なんでしょう??

ChatGPT:

このセリフは、

ポローニアスが「どこへ歩いていくか(walk)」と暗に尋ねたのに対し、ハムレットは「私が歩いていく最終的な目的地」を提示しています。

また、彼は父の死と母の再婚、そして王国の腐敗という三重苦の中で、「生きることに疲弊し、墓の中こそが唯一の安息の地だ」という絶望を暗に織り交ぜた表現でもあります。

したがって、「my grave」はハムレット自身の死への願望を示しており、ポローニアスへの直接的な呪いの言葉ではありません。

あー、なるほど!これは込み入ってる!

walk out of the airっていう文が、冷たい空気を抜けてどこかへ歩いていく、っていう意味だから、その「歩いていく」のスケールを、無理やり人生スパンに読み替えて、じゃあ墓まで、っていったってことなんだ。

ツッコミ:ちょっと寒いから、風当たらんとこまで歩こうや
ボケ:ほな、墓まで
ツッコミ:確かに風当たらんけど!
ボケ:ほんまに寒いのは、世間の風やん?
ツッコミ:だからって人生を歩ききらんでええねん!

みたいな感じの、ずれ漫才的ユーモアだったんだ!

これもパッと読んだだけじゃわからんなあ~。

あと、やっぱりシェイクスピア=偉大な作家、というのが先入観になっちゃってますね。
シェイクスピアって、こういう小ネタも全然入れてくる守備範囲がすごいんだな。

では墓のなか問題が解決したところで、本題「狂気とは何か?」問題へ。

改めて「狂気」とは何か?問題

ここまでストーリーを追いかけてきた感じ、ハムレット=「狂気」というのは、割と自明な感じで語られてるわけですよね。

ハムレット自身が「狂気」を予告する発言をしているし、現王クローディアスも「昔とは似ても似つかぬ変りよう」、ポローニアスにいたってはド直球に「気ちがい」と。

ただ、それとは裏腹に、読者として本文を読んでる限りでは、確かに彼の言動に「ちょっとずれたシュールな感じ」はあるものの、いわゆる「精神疾患としての狂気」というニュアンスからはかけ離れてるんですよね。

そしてうえで見たポローニアスとの会話劇も、翻訳の問題もあって遠回しで分かりにくいものの、内容に関しては、論理的だし、理知的そのもの。

全く狂ってるように見えない。

ChatGPT:

ここが誤解しやすいポイントですが──

あなたの読み「ハムレットの発言は全然狂って見えない」は、

本当に正しい。

つまり、

ポローニアスが“勝手に”狂気のレッテルを貼っているだけ

実際のところ、

  • ハムレットの発言は論理的
  • 皮肉は的確
  • 構造的に間違いがない
  • 宮廷の腐敗を正しく言語化している

だから観客としては
「いや、全然狂ってないやん」
となる。

ではなぜポローニアスは「狂っている」と言う?

理由①ポローニアスは“自分の物語”に沿ってしか理解できない

彼の物語=「ハムレットは恋の病で狂っている」

だから、皮肉を聞いても
「やっぱり狂っている証拠だ」
としか受け取れない。


理由②シェイクスピアの演劇構造

観客はハムレットの内面に近い。
しかし宮廷人はハムレットの外側しか見ない。

だから

  • 観客 → 「筋が通ってる」
  • 宮廷 → 「狂っている」

というギャップを作り、
“理解不能性”が狂気として構築されるという仕組みを見せる。


理由③ポローニアスの台詞は「自己暴露」

Though this be madness, yet there’s method in’t.
(狂気の中に筋がある)

これは実は、

「そう思うのは俺が理解できていないからだ」

「理解できないから“狂気”だと片付けておこう」

という自己防衛。

つまりこの台詞は

「ハムレットは狂っている」の根拠ではなく
「ポローニアスは理解できないから狂気扱いしている」

ということの“証拠”になっている。

ちょっとだけ、僕なりにまとめてみようかな。

まず、現実世界の多層化に伴って、想定するその世界の普通からの逸脱が避けがたく生じてくる。

そうしたときに、自身の世界観の範疇から外れるものを、とりあえず「狂気」と名付けておこう、という構造的な状況が現れてくる。

シェイクスピアは、それを舞台の上で可視化したってことなんですね。

だから、単にハムレットが狂気扱いされている、ということを超えて、なんだったら、「狂気」って、そもそもそんなもんだよね?というのをテーマ的に強調してるってことなんだ。

いや、これはなるほど、すごい。歴史に残るわけだ。

操作可能な狂気?ハムレットの自意識

友人(ギルロゼ)との会話

ポローニアスを皮肉の嵐であしらった後、今度は、王の命を受けた友人たち、ギルロゼが、ハムレットに探りを入れに来ます。

ここでもまた、ハムレット節がさく裂します。

すでに王による命を受けて探りを入れに来ていることを見抜いているハムレットは、ギルロゼ越しに父と母に向けた言葉を放ちます。

ハムレットの狂気は北北西の風のときにかぎるのだ。

南になれば、結構物のけじめはつく、鷹と鷲との違いくらいはな。

このセリフもいいなあ。。。

要するに、そんなに目くじら立てて探るほどのものではない、風向き次第で変わるくらいのものだ、ってことですよね。

では、ここのもう少し掘り下げた解説をお願いします!

ChatGPT:

これ、ハムレットの「狂気宣言」の中でも最重要の一句です。
そして、はっきり言うと “狂ってません宣言” です。
(ただし その言い方が狂っている という二重構造。)

以下、めちゃくちゃわかりやすく整理します。

◆結論:意味はこれ

「俺は本当に狂ってるわけじゃない。
風向き次第で、普通に理性的に考えられる時もある。」

つまり

・「計算ずくの狂気」宣言
・「狂気の演技」のヒント
・ そして相手を煙に巻く皮肉

でもあります。

なぜ“北北西の風”?

これはいくつか説があります:

①航海の比喩(=方角は状況次第で変わる)

風向きが変わると船の動きも変わる。
つまり、
状態は固定されず、流動的というメタファー。

②“北北西の風のときには見るものが歪む”

当時の民間言い回しに近いものがあり、

北風が強いと視界が乱れる
=ものを“正しく見られない”

という俗信的な背景。

③「狂気」の相対化

“風向き”という偶然的な自然現象にたとえることで、

狂気とは、絶対的状態ではなく、状況によって揺れ動くもの

という哲学的なニュアンスを出している。

なぜこんな遠回しな言い方をするのか?

ここが重要。

このセリフを言った相手は、ギルロゼ(友人役の監視者)。

つまり、
“敵でも味方でもない、王に送り込まれたスパイ”。

だからハムレットは

・「俺は狂ってるように見えるけど、本当に狂ってはいない」
・「でもそれを露骨に言ったら監視役にバレる」
・「だからわざと回りくどく隠喩的に言う」

という三段構えの“劇的アイロニー”を使っている。

これは要するに、あなたたち(王/王妃)が気にしている狂気など、このハムレットにとっては人事不省どころか、十分に操作可能なものに過ぎないのだ!という宣言なんですね。

ここにはハムレットなりの自負があるようにも読めますね。

ここまでChatGPTと一緒に読んでとらえてきた僕のハムレット像としては、

ハムレットはハムレットで、自身の内部のおかしさを自覚しているようには見えるんだけど、一方で他者(王やポローニアス)が押しつけるところの「狂気」は拒絶している。

ここには、現実の多層性ゆえに、確固たる正道を定義しきれない自身の内面の複雑さを、一種の「狂気」と認める一方で、多層的な現実を無視して、無理やり単一の世界想定から、それから外れたものを強制的に「狂気」へと追いやる現実の圧力に対しては、Noを突き付けようとする姿を見ることができるように思えます。

だけどそれはそれで独善的な正義の貫徹でもあり、そこがセカイ系主人公的でもあり、思春期的でもある。

こう読むと、なんとなく僕の中ではつながりますね!

次回へ

このあと、劇団を迎えて、ハムレットは何やら企んでいるようですが、このあたりは、再びテーマが移っていくので、次回に譲ろうと思います!

お付き合いいただきありがとうございました!

次回はこの続きで、第三幕を読んでいくので、お付き合いいただけるなら、また「ChatGPTと読む『ハムレット』④」でお会いしましょう~。

👉「ChatGPTと読む『ハムレット』④」 (第3幕読書実況&ネタバレ解説)はこちら

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